軽率にカウンセリングを勧めてみるなど
「カウンセリングに行ってみたら?」
思い悩む心の内を聴かせてもらうとき、思うことがあります。
決死の覚悟で思いを打ち明けてくれたことに対する敬意と、
私に打ち明けてくれたということに対する大きな感謝。
そのうえで、カウンセリングを勧めることがあります。
決して、話を聞きたくないわけではないのです。
自分の発言の責任の重さに気圧されるというのも違うのです。
勧めてみたらキズづけてしまった
「夜眠れないからお酒飲むんだよね~。お酒やめたいんだけどな~」
職場の人間関係に悩む友人にこう打ち明けられました。
いわゆるパワハラです。
お酒を飲まないと眠れないというのは、相当まずいと思いまして。
色々と話を聞かせてもらっていましたが、掛けられる言葉は少なく、
「何があっても私は味方だよ。あなたはだめじゃないよ。
仮にだめだと自分で想っていたとしても、ダメでもいいよ。」くらいのもの。
で、「精神科でカウンセリングとか受けてみれば?楽になるかも」
と言いましたらば「相当残念な回答。私はそんなにダメなの?」と言われてしましました。
カウンセリングが身近にあった私
家族がうつ状態になったことがあったり、
いつも元気に振舞っていた母が実はカウンセリングを受けて睡眠薬をもらっていたことを知ったり、とカウンセリングは割と身近にあったような気がします。
給料泥棒と言われて
私自身もカウンセリングを受けたことがあります。
会議中に上司に「給料泥棒」と言われてしまいました。
私を名指しにしてはいないものの、仕事が上手くいっていなかったので、
絶対に自分のことだと思いました。
- 会社に行きたくない
- 今の仕事は向いていないのでは
- 異動した方がいいのか
- 会社に隕石が落ちればいいのに
こんなもやもやを抱えて精神科の門を叩き、カウンセリングを受けました。
涙涙のカウンセリング
カウンセリングでは、今なやんでいることだけではなく、今の私に至った育成歴にまで触れて色々な話をしていきました。
カウンセラーさんとの相性も良かったからか、カウンセリングの時間で何の利害関係もないカウンセラー(心理士)さんに思いのたけをぶちまけるカウンセリングの時間は癒しそのものでした。
泣きながら自分の現状を報告し、心理士さんから冷静にフィードバックをもらう、
その時間は本当に貴重なものになりました。
カウンセリングをもっとカジュアルに。
私にとってカウンセリングは身近なもので、頼れる存在になりました。
なので、私は件の知人に春先に「鼻水とくしゃみが止まらないんだけど」という人に
「試しに耳鼻科に行ってみなよ。」と耳鼻科を薦めるのと同じくらいの軽さで精神科のカウンセリングを勧めてしまいまして。
本を読んでもさ、それはどこかの誰かの事例出会って、「私」のことじゃない。
カウンセリングは「私の」こと。
精神科でカウンセリングを受けることはだめじゃないよ!
医師や心理士さんとの相性もあるから、誰にでも良い結果が出るとは限らない。
でも、もっともっと辛くなる前に花粉症を疑って耳鼻科を訪れるように、
気軽にカウンセリングを受けられればいいのに、と個人的には思っています。
件の彼は、そのあとこってり説明したら理解してくれました・
コメント